2012年9月3日月曜日

今日読んだ本と感想。

内容紹介

眠れない死者の声に耳を傾ける。多死社会といかに対峙するか。その智慧は仏教にある。

震災、高齢化、自殺者増……、多死社会の到来を目前にして、この国はなすすべもなく立ち竦んでいる。これまで問題を封印してきたツケが一気に回ってきたのだ。我々はいかに死者と対峙すべきか――。その智慧は仏教にある。ブッダの時代以来、死者と関わり続けてきた仏教が現代に果たすべき役割は小さくない。震災と仏教、死者供養の原点、業と輪廻、仏教離れの本当の理由など、死者の問題を中心に現代仏教を問い直す。

目次

第一章 震災から仏教を考える
1.震災を考える
2.震災をめぐる論争
経緯/発端/ネット論争/高橋哲哉氏に応える
3.震災をめぐる思索
I.震災からアジアの仏教を考える
震災に対する仏教者の対応/テーラワーダ仏教の場合/チベット仏教の場合/日本仏教の場合
II.日本人の災害観
被災地を離れたところから/東日本大震災の特殊性と自然観の類型/日本人の災害観
III.脱魔術化と再魔術化――日蓮の災害論をどう受け止めるか
脱魔術化の立場/再魔術化という視点
IV.震災から日本の仏教を考える
東日本大震災と日本の仏教/脱魔術化と再魔術化/日本仏教はなぜ総合的理論を失ったのか/世界観を再構築できるか
第二章 見えざるものへ――仏教から現代を問う
あてにならない「常識」/自前の思想を鍛える/表に躍り出た死者たち/死者たちとともに/東西の宗教都市/死者論としての仏教/死の記憶、生者の傲慢/脳死を考える/政治と宗教/お寺が生き残る道/知識は無力で嘘臭い/キリスト教は日本に定着したのか/「死ねば皆、仏様」の誤解/死者をいかに慰霊するか/死後をオープンに語る/桜にみる自然観の変遷/「他人の痛み」は分からない/「私」と「あなた」の死/神々への畏れ/お盆に漂う死者の気配/再評価される栄西/揺らぐ近代的親鸞像/近世仏教の「実力」/老いに直面したブッダ/国土と浄土/死刑問題を考える/今を悩み苦しむ人々のための哲学
第三章 死者から考える
死者を送る/死者と生者と/死の臨床/業と輪廻/輪廻をどう理解するか/成仏と廻向/ブッダの死から大乗仏教へ/浄土教と死の問題/法華経のブッダ/葬儀をめぐって
第四章 行動する仏教、思想する仏教
1.いま仏教は何をなすべきか
2.仏教と平和
3.靖国――死者たちと語り合う場として
4.仏教と社会参加
5.土着の場から変革を
6.臓器移植法案の成立をめぐって
7.仏教と仏教離れ
8.思想史から哲学へ
9.「私」とは何か、を考える
10.今に問う言葉――田辺元
11.現代思想としての仏教
我々が見ている世界は「真実」か/他者と死者をどう位置づけるか/「自立した個人」を疑う/伸び縮みする「私」

まず、私の立場というか、思想というかを。科学好き(だからといって科学が得意って訳でもない><)、特定の宗教を熱心に信仰しているわけではない、かといって宗教と全く関わりないという訳でもなく先祖のお墓参りに行けば手を合わせて目を閉じたり、クリスマスにはチキンとケーキを食べたりする。で、本書を読み終えても特に何も変わらなかった。(少なくとも変わった自覚はなかった。)

最初の方の内容の、自然現象とそうでない現象による死者について書かれていたけど、その線引きの難しさは分かるけど、やっぱりその線を見つけられるかは別として、私自身は線はあると思ってる。で、本書はその線引き、あるいは線の存在そのものの考え方が私とはあまりにも違って、さらには、なるほどと心に響く説明がある訳ではなかった(少なくとも私の心には)ので、なかなか本書に興味、関心を持つことが出来ずに読み進めていくことに。さらに途中からは戦争(第2次世界大戦)での死者についての話が出てきて、私の頭の中の線引きと本書の線引きのずれが余計ごちゃごちゃになっていった。さらには原子力爆弾、原子力発電所の事故の話もでてきて私の頭の中は収集がつかない状態に。><

ただ、当然のことだけど、仏教を信仰する人にとって死者と宗教は深い関係や、その宗教なりの理論、考え方があったり、もっと重要なこととして、死の悲しみ等の、心の大きなより拠り所になっているのかなあということは僅かだけど読み取ることは出来た。

ということで、もう少し収集をつかせながら本書のような書籍を読むことができるように、信仰するかしないかという理由ではなく、知るという目的で、宗教関係の本も少しは読んでみようかなあと思った今日この頃。

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